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【九牛の一毛】
「九牛(きゅうぎゅう)の一毛(いちもう)」は、良く知られてい るように、文字通り九頭の牛の無数の毛の中の一本で、「多数の中 のごく少数」を言います。その謂われは… (前略)これを聞いた武帝は憤然と して、「遷は李広利の功をはばんで 李陵のためにする」と邪推し、司馬遷 を入獄させたばかりでなく、あげくの はては宮刑に処してしまった。 宮刑はひげが落ち顔はのっぺりと して、性格まで変ると言われた刑罰で ある。司馬遷自身も「最下等の恥辱」と 言っている。また彼は、「世人は私が 刑せられたことなど、九牛が一毛を 失うぐらいにしか感じないだろう」とも 言っている。しかし司馬遷はなぜ生き 恥をさらしながら生きなければならな かったのだろう。「奴婢といえども自害 する」ことがあるのに、なぜ一命を絶た なかったのか。 それこそ「史記」を完成するために ほかならなかった。 彼の父司馬談は泰山における封 禅に病気のため参加できず、太史 令という職務を思うにつけても自噴 やるかたなく、そのため死んでしま ったというが、その時「通史を記録 せよ」と息子の遷に遺言した。司馬 遷にしてみれば、「史記」を完成し なくては死ぬにも死ねないのであ った。父の怒りと息子の怒りが結合 して司馬遷の執念となった。彼はた とえ世人の嘲笑の的となっても、 或いは、「一日に腸が九度よじれ る」ような思い(注)をしても書き続けた。「俗輩にわからぬ苦汁」を なめながら、「史記」百三十巻ができ上がったのである。(後略) 《河出書房新社・昭和32年発行、中国故事物語(上)から一部引用》 我が家の本棚の隅っこにあったこの上下2巻の本、発行から半世紀 を過ぎてすっかり黄ばんでいます。パラパラとめくって見ると以前 に摘み読みをした記憶がありました。昭和32年(1957年)といえ ば、私が15歳(中学2年)の時代の本です。誰が買ったのでしょう か(???)中国が大好きだと言っていた亡き義母でしょうか、それ とも中国生まれのカミサンでしょうか…。 by MO (注) 似たような言葉がありました。 「九回の腸」
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| 2011-10-28 09:09
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