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【南方熊楠が守った9本の杉】
(社会学者の鶴見和子がこれを「南方曼荼羅」(みなかたマンダラ)と 名付けました。この図は「因果律」と「偶然性」を示しているそうです。 …凡人に解ろうはずもありません) 「継桜王子(つぎざくらおうじ)」は和歌山県田辺市中辺路(なかへち)町 にある神社。 「熊野九十九王子社(くじゅうくおうじしゃ)」のひとつ。国の史跡「熊野 参詣道」の一部。 (中略) 社地を囲む鎮守の森の巨木群があり、集落の名をとって「野中の一方杉」 と呼ばれる。これら巨木のなかには樹齢800年以上ともいわれ、直径が 2~3mを越えるものも9本を数える。日照や地形の関係のため、どの 木もみな一様に南東方向の那智山の方角にのみ枝を伸ばしていること から一方杉の名がついている。(後略) 《wikipediaから適当に引用》 (「野中の一方杉」 クリックすると大きな画像で見られます) (前略)9本のうち、最大のものは樹高32m、幹周り7.53mと記され る大スギだ。継桜王子は明治後期の神社合祀令により明治42年に近野 神社に合祀され、40本ほどあった社叢の杉が伐採され始めたが、紀州が 生んだ偉人南方熊楠が合祀と伐採反対の声を上げて守り、かろうじて9本 の樹を今に残すことができたのだという。(後略) 《樹々山坊(kigiyamabo)さんのHPから一部引用》 南方熊楠(みなかたくまぐす 1867年5月18日- 1941年12月29日)は、日本の博物学者、生物 学者(特に菌類学)、民俗学者である。(中略) 1962年(昭和37年)5月、白浜町を行幸した 昭和天皇は御宿所の屋上から神島を眺めて 御製 「雨にけぶる 神島を見て 紀伊の国の 生みし南方熊楠を思ふ」を詠んでいる。 《wikipediaから一部引用》 南方熊楠について、詳しくは以下のHPから お確かめください。 南方熊楠記念館、南方熊楠顕彰館、南方熊楠資料研究会 鎮守の森が伐採されてしまっては、固有の生態系が破壊されてしまう ことを危惧して南方熊楠は反対運動を起こしたのですね。この運動は 田辺湾の「神島」を天然記念物に指定させ、「野中の一方杉」を残し、 世界遺産にも登録された「熊野古道」が今に残る端緒となりました。 環境問題、自然保護運動の先達としても、もっと高く評価されて良いと 思います。 by MO
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| 2012-02-06 09:09
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