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【曲垣平九郎】
講談「寛永三馬術(かんえいさんばじゅつ)」をご存知でしょうか。 曲垣平九郎、向井蔵人、筑紫市兵衛を主人公とした典型的な武芸講談。 そのうち平九郎が将軍徳川家光の命で芝愛宕山の男坂を馬で乗り上が り梅花を手折る《出世の春駒》が名高い。 《世界大百科事典の解説から一部引用》 ![]() その曲垣平九郎(まがき・へいくろう)は生没年不詳ですが…。 江戸前期の馬術家。名は盛澄。讃岐高松藩の丸亀城主生駒氏に仕える。 寛永11(1634)年1月28日、将軍徳川家光が芝増上寺参拝の帰りに 愛宕山を過ぎる際、騎馬で山上の梅花を折ってくる者を求めた。3人が 試みたが、いずれも落馬し登れる者はひとりもいなかった。改めて翌日行う ことを決めての帰り際に、平九郎が申し出て馬に乗り、一気に石段を登って 紅梅、白梅を一枝ずつ取り家光に差し出した。家光は「日本一の馬術の 名人だ」とほめ、名刀一振りを与えたという。のち尾張藩で900石を得た。 《朝日日本歴史人物事典の解説から一部引用》 ![]() 愛宕神社に上がる急な石段は「出世の石段」と呼ばれています。 その由来は講談で有名な「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎の故事に ちなみます(前述)。 実際に神社にみえた方は男坂をごらんになって、「こんな石段を馬が上れ るわけがない。曲垣平九郎の話は講談だからウソだろう」と思われるのですが、 江戸以降にも男坂を馬で登り降りすることにトライをして、成功している方が 何人かいらっしゃいます。 明治15年・石川清馬(宮城県出身) 大正14年・岩木利夫(参謀本部馬丁)廃馬になる愛馬に最後の花道をつくった。 昭和57年・渡辺隆馬(スタントマン)「史実に挑戦」というテレビの特番で。 《愛宕神社トリビアから一部引用》 かなり急な石段のようですね。86段ありますが(惜しい90段ではなかった)、 江戸時代は68段で、現在よりさらに急であったと言われます。 by MO
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| 2013-10-19 09:09
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