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【むうちゃんの戦争(九話)】 今春(平成20年・2008年)、私は引揚者(注1)の一人として、 「特別慰労品」と「内閣総理大臣の交付状」なるものを受け取りました。 ![]() 「特別慰労品」とは─桐箱に納められた桐紋入りの銀杯─でした。 「内閣総理大臣の交付状」には ─○○○○殿 先の大戦における ご労苦に対し心から慰藉の念を表し特別慰労品を贈呈します 平成20年4月30日 内閣総理大臣福田康夫─ とありました。 慰藉(いせき)とは”なぐさめいたわる”との意味のようです。 地元の九条の会の雑談の場でこのことを話したところ、 「○○さん、そんな物を受け取るなんて!」と女性の皆さんからはお叱りを いただきました。その他男性の皆さんからは「大戦と表すところが如何にも ですね」「お、天皇家の裏紋だね(注2)」などの感想が出されました。 …私たちの一家は、 戦中に野戦自動車部隊軍属と して仕事をする父に伴って 満州に渡り、 敗戦後に日本に引き揚げて 来ました。 その”満州と引揚の想い出”で す(後年になって両親から教 えられた部分も付け加わって いるのでしょうが、鮮明な記 憶なのです)。 1・満州、ハルピンの家はレ ンガ作りで窓は二重でし た。ドアノブを下手に掴む と手がくっつき(凍りつ き)ました。 2・私が飼っていたひよこが下水管に落ちたとき、兄ちゃんが何とか 助けようとそれは長い時間がんばってくれました…。 ![]() 3・ロシア兵が私を女の子と間違えて連れて(買って)行こうとしたとき、 兄ちゃんは「むうちゃんはチンチンが付いてる、ほら!」と泣き叫びながら、 それこそ必死で助けてくれました。 4・無一物で、荒涼・広漠とした大陸を南満州鉄道の無蓋の貨車で走って いた時は一体如何なるのだろうか…不安でたまりませんでした。 5・(不安は的中します) そんな引き揚げの途上で兄ちゃんが病気に罹りました。平時なら何でも ない関節炎でしたが、不衛生極まりない環境の中で、病院にも行けず、 栄養など望めず、日に日に弱っていきあっという間に死んでしまいました。 いつも抱き合っていた聖志(たかし)兄ちゃんはまだ5歳でした。 6・茫然自失の私は、大連から福岡への毎日、船底部屋の丸窓から蒼い 海中を眺め続けていました、何故かキスの群れが多かった…。 7・落ち着いたのは、京都の陸軍病院跡を改造した引揚者用の寮でした。 お隣の音がそのまま筒抜けになるほどのベニヤ仕切りの粗末な住居でした。 流しは廊下にありましたから、ご飯の支度時などは母ちゃんたちが横一列に 並び壮観(?)でした。 8・闇のたばこを作って売ったり、しょっちゅう 盗まれるのですが庭に野菜を作ったり 家畜を飼ったりして何とか食べていました。 ![]() 天皇が来ました(「巡幸」と表すそうです)。 言われるままに皆と一緒に万歳をし、日の 丸を振っていました。腹を強くひもで縛って (空腹なので)、裸足のままで(靴もなかっ たので)。 当時の私の→写真と、 天皇巡幸の様子↓とが 残っていました。 極めて私的な、些細な想い出話です。が、 これが私・むうちゃんにとっての戦争であった のです。 あれから…六十年経ちました。 by MO ![]() (天皇の前を行く侍従の右足の前↑のつむじが私です) (注1) 独立行政法人平和祈念事業特別基金の定義によれば、引揚者とは、 ━先の大戦に際し本邦以外の地域から引揚げてこられた方(原則として、 本邦以外の地域に終戦の日まで引き続き1年以上生活の本拠を有して いた方)━です。本邦以外とは、台湾・朝鮮半島・南洋諸島・満州・樺太 などです。敗戦当時の満州には約155万人の在留日本人がいましたが、 引き揚げたのは約130万人で、約25万人もの人びとが引き揚げまでに または引き上げ途上で死亡しました。 (注2) この銀杯には写真でお分かりのように「桐紋(五七の桐)」が印されています。 ![]() 使っているものです。また、天皇から 下賜されて豊臣家や吉良家なども家紋と していたものでもあります。 天皇家の家紋は、もともとは「日月 紋」、定紋(表紋)は「菊紋(十六複 弁菊)」、替紋(裏紋)は「桐紋(五七 の桐)」と一般的に言われています。 パスポートの表紙には「菊紋」が写真の ページには「桐紋」が入っています。 何れにせよ、法令で定まったものではな く、慣例的なものに過ぎません。 ─2010年8月24日追記─ 今日、羽田澄子監督のドキュメンタリ「嗚呼満蒙開拓団」(2008年製作) を観ました。改めて、日本軍国主義に怒りが湧いてきました。これは別の 記事にしたいと思います。 満州からの引揚者の一人として、私が政府から受け取った「賞状(???)」を 掲載しておきます。平成7年(1995年)のものです。 ![]()
by 9collection
| 2008-06-13 00:09
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